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NO.65「ハーレム?ハレム?」
 たった一人の男をたくさんの女奴隷が囲む閉ざされた場所
 ・・・ハーレムとはそんなイメージではないだろうか。
 自分の自由にできる奴隷を求めるなら、一度は夢見ている光景 だと思う。
でも、「ハーレム」とか「ハレム」とか言うが、どちらなのだろうかだろうか。

<「ハレム」(harem)とは>
 イスラム社会における女性の居室のことである。
 この名称はトルコ語からイスラム世界の外側の諸外国語に広まったもので、アラビア語ではハリーム (???? har?m) と呼ばれている。
 トルコ語のハレムは、アラビア語のハリーム、ないしはアラビア語ではもっぱら聖地を指す語であるハラム (??? haram) の転訛である。
 ハリーム、ハラムとも原義は「禁じられた場所」という意味で、ハレムとは、男性はその場所にいる女性の夫・子や親族以外、立ち入りが禁じられていたことから生まれた名称である。
 日本語ではハーレムと表記されることが多いが、学術的にはトルコ語の発音に近い「ハレム」の表記が一般的である。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
だそうなのである。

<性的倫理の逸脱を未然に保護>
 ハレムは、文化的にはイスラム教(イスラーム)の説く、性的倫理の逸脱を未然に保護するためには男女は節理ある隔離を行わなければならないとの思想を直接の背景としている。
 聖典クルアーン(コーラン)には、クルアーンがくだされた当時、マディーナ(メディナ)にあった預言者ムハンマドの自宅で、預言者の家に頻繁に出入りする信徒たちと、預言者の家族の居室の間を厳密に区切り、両者のむやみな出入りや会話を戒めた規定がみられる。
 後世のムスリム(イスラム教徒)たちは、この預言者の家族に関する規定と、ムスリム女性たるものは貞節を固く守るべきとしたクルアーンの教えを厳密に適用する立場から、家屋の中にハリームの領域、すなわち訪問者の立ち入りが禁じられた空間を置くようになった。この意味では、ハレムは外出時に着用されるヴェールなどと同じ発想に基づいている。
 しかしながら、ハレムの習慣はイスラム特異の文化というわけではなく、古代の地中海世界において、富裕な階層が倫理的・文化的・経済的な理由において女性の居室を隔離した風習がそもそもの起源であると考えられる。
 このように必ずしも宗教的な理由に基づく習慣であるとは言い切れない点でも、ヴェールの風習と同じ経緯をたどっている。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 イスラム教徒でもない私が、やはり気になるのは宮廷のハレムである。 

<千夜一夜物語、奴隷身分から解放>
 ハレムを厳密に運用するには、多くの夫人を抱え女性を労働力とせずに家庭内に置いておくことが可能な経済力が前提であった。
 これは、裏返して言えば、イスラム世界で最も富裕な存在である王侯貴族の宮廷においてハレムが厳密かつ大規模に営まれていたということを意味する。
 確かに、イスラム帝国の首長であるカリフの権威が絶頂に達したアッバース朝においては、『千夜一夜物語』に半ば伝説化して語られたような非常に大規模なハレムが営まれていた。
 クルアーンは預言者の妻たちが顔を見せてよいのは同性の女性たちと自分の家族、親族の男性を除くと、彼女らの所有する奴隷のみであると語っているため、ハレムでは奴隷身分の者が労働に召し使われることとなったが、カリフのような富裕な王侯貴族のもとでは、このような奴隷は去勢されて宦官とされていた。
 宦官が召し使われたという点では古代オリエントや中国の後宮と同じである。
 また、ハレムに住まう夫人たちの身辺には奴隷身分の侍女たちも置かれたが、イスラム法では女奴隷の生んだ子は父が認知すれば自由人として認められることができると定められていたため、彼女たち女奴隷はハレムの夫人たちの夫の子供を私生児ではなく嫡出子として産む可能性があった
 従って、女奴隷とは側室候補でもあり、夫の子を産めば奴隷身分から解放され、一躍王侯貴族の夫人として尊敬される身になることも珍しくなかったことは、江戸城の大奥の侍女とも似ている。
 マムルーク朝の初代スルタンとなったシャジャルッドゥッルは奴隷身分から君主の子を生んで解放され、王の妃へと身分を上昇させた女性の典型的な例である。。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 ハレムの女奴隷「オダリスク」と言えばルーヴル美術館所蔵のドミニク・アングルの絵「グランド・オダリスク」を思い浮かべる方もいるかもしれない。 
65-01

<オダリスク>
 ハレムという語がトルコ語から西欧諸言語に取り入れられたことからわかるように、西欧人がハレムの存在を「発見」したのは、オスマン帝国においてであった。
 オスマン帝国のハレムは、その規模と神秘性からヨーロッパからイスタンブールにやってきた多くの観察者たちの注意をひきつけた。
 ヨーロッパでは、特に宮廷のハレムに住まう女性たちは、「君主の居室」を意味するトルコ語ハス・オダルク(Has Odal?k)から訛ってオダリスク(Odalisque)とも呼ばれてきた。
 ヨーロッパの人々は、オスマン帝国の社会にみられるハレム、オダリスクを東洋的で異質なものととらえ、またこれらにはヨーロッパ人の手になる旅行記や絵画を通じて官能的なイメージを与えられたが、こうしたハレムに対するイメージの生産と受容はエドワード・サイードの批判したいわゆるオリエンタリズムの一種ということができる。
 官能的なハレムのイメージはオスマン帝国の滅亡後も再生産と増幅が21世紀に至るまで繰り返されてきた。
 こうした風潮は、欧米のフィルターを経てオリエントの世界に触れた日本においても例外ではない。
 「サルタンの君臨するハーレム」のイメージは、全く欧米から受容したイメージに基づいて日本でも再生産されてきた。
 この結果、現在では「ハーレム」の語はほとんど西アジアとは関係なく日本語に定着しており、男女関係、性風俗や、より軽いニュアンスでは女性ばかりが数多くいる中に少数の男性が存在するような状況を指す意味まで、様々に「ハーレム」という言葉が使われている。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 このオダリスクとして時代をさかのぼった昔に日本人が連れてこられたという想定の小説が、せいじゅこと川口青樹著の「イースト・オダリスクである。

◆◆貴方のハレムのイメージをお寄せ下さい
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